国宝姫路城は慶長14年(1609年)に池田輝政が、現在の五層6階の城を築きました。城の白壁の美しと裾ひろがりの優雅な姿から、白鷲城とも呼ばれて居ります。この城が300年経た昭和31年から昭和39年にかけ8年間で延べ25万人を要した昭和の大改修を行いました。此の天守閣の修理に要した梁・柱類の材料一部を地元上石の秩父街道JR高崎線踏み切り傍(株)竹内欅材店竹内作治氏が木挽職人故長嶋善四郎氏の原木伐採から加工まで共同作業により納入しました。
地元でもあまり知られてない事ですが、世界遺産である国宝の姫路城に当地上石から送られた梁や柱材が、白の重要骨格部分である天守閣に使用されて居ります。
この事は(株)竹内欅材店及び長嶋家は勿論の事、上石地区としても誇りを感じる次第であります。
平成13年、赤城久伊豆神社富士講の皆さんが、姫路城見学時に城内案内係より天守閣内部骨組みの説明で、改修時に多くの梁材料等を埼玉県熊谷市の竹内欅材店より納入されたとの記録があるとの説明がありました。参加の上石第二自治会長の赤岩氏が、その店は家の近くだと話したら、案内人も驚かれたと話していました。 |
【姫路城】1993年、奈良県の法隆寺とともに日本初の世界文化遺産に登録され、現存する城の中でも特に高い評価を受けている姫路城。白鷲城とも呼ばれる美しい形容は、安土桃山時代から江戸時代初期にかけての建築技術の粋を集めた傑作といわれています。城内には宮本武蔵が書物を読みふけった「あかずの間」もあります。 |